クリスマス、どうか俺に懺悔させてくれないか

忙しい人向け、AIによる要約

2025年のクリスマス当日、筆者は外食しようとしていた直前まで神様のことを考えていなかった自分に気づき、その“忘れていた”ことを懺悔しつつ、神様を知ってから起きた変化を「恵み」として振り返る。かつてはゲーム三昧や恐れによる自信の欠如、嘘や知ったかぶりの建前、さらには自分の出自まで否定する癖があったが、聖書の言葉に照らして「益にならないものに支配されない」「神の愛に寄り頼む」「偽りを捨てて真実を語る」「意図をもって造られた存在として自分を磨く」方向へと変えられたと述べ、最後に、変えてくれた感謝と世の楽しみに目を向けたことの赦しを求める祈りで締めくくっている。
On Christmas Day 2025, the author realizes that until just before going out to eat they hadn’t been thinking about God at all, and uses that awareness as a starting point for confession and reflection on the “grace” of personal change since coming to faith. They contrast their former self—absorbed in gaming, lacking confidence because of fear, hiding behind lies and a know-it-all façade, and even falling into self-denial about their own background—with a renewed direction shaped by Scripture: not being ruled by what is unhelpful, relying on God’s love as true confidence, putting away falsehood to speak truth, and embracing themselves as intentionally created so they can grow and refine their life. The piece closes with a prayer of gratitude for being changed and a request for forgiveness for letting worldly enjoyment take center stage on Christmas.

 今日は2025年のクリスマス。良からぬことが脳裏を過ぎったので過去を振り返って、神様が俺にしてくれたことを再認識し、振り返りたい。そしてクリスマスにこのように神様への思いを巡らせることに集中しているこの時間は何物にも代えがたいだろう。
 この記事では自らの懺悔を述べたかったが、個別のケースが思い浮かばなかったので神様を忘れていたという点と恵みに焦点を当てたいと思う。

あなたの恵みを考えていなかった

この記事を書こうと思うにあたり直前まで俺は神様のことを考えていなかった
「せっかくのクリスマスなんだから、晩飯でも食いに、外にでもいってフラフラするかな」と思っていた。
時刻は18:30、重大なことを忘れていたことを思い出す。じゃあ、まとめてみるか。
そして、晩ごはんを食べ忘れ、20時すぎにこれが書き終わった。

神様の恵み

神様を知る中で明らかな変化があったので、思いつく限り書き出してみることにする。
変化の内容があとから聖書で説明がつくことに驚きを禁じ得ない。

かつては、ゲーム三昧、アニメ、誤った異性関係と多くの悪行を重ねてきた。
しかし、今では新しい自分となることができた。

この変化については現在では絶大な効果を有していると言えるだろう。毎日、全く新しい人として歩んでいる。

だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、 心の底から新たにされて、 神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。

エフェソの信徒への手紙 4:22-24 

ゲームは無駄だった

はっきり言おう。ゲームは無駄である。
俺はかつてゲーマーであって、FPS(銃で戦うやつ)やRPGが好きだった。どれだけの時間をそれらで無駄にしたかは正直考えたくないほどだ。

何をやるのも自由だが、その全てが益とされる訳ではない。
楽しいからゲームをやっているのではなく、ゲームをやるから楽しいではゲームに支配されているだろう。

すべてのことは、わたしに許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは、わたしに許されている。しかし、わたしは何ものにも支配されることはない。

コリント人への第一の手紙 6:12

自信がなかった

以前はとにかく自信がなかった。
「嫌われたらどうしよう、、、」「失敗したらどうしよう、、、」「失ったらどうしよう、、、」
挙げればキリがない。

自信を持つとは自らを奮い立てることではない。根拠のない可能性を信じることでもない。
あえて言語化するなが、神様の愛に寄り頼むことだろうか。

神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。

テモテへの手紙二 1:7

わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」

ヨシュア記 1:9

建前を消し去った

昔の俺は、嘘つきだった。思ってもいないことを言って、知ったかぶりをしていた。きっと知識でマウントを取りたかったのだろう。
そんな俺が嫌いだった。だから正直に生きようと思った。

かつては聖書も神様も大嫌いだったが、それが今の唯一の建前
俺は心から思ったことだけを言うことにした。
お世辞を言うくらいなら、黙ってる。形だけの共感をするくらいなら、相手を傷つけても本音を言う。

だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。

エフェソの信徒への手紙 4:25

自己否定をする癖がなくなった

俺は自分の出自が気に入らなかった。日本に日本人として生まれて日本語を話しているこの事実に嫌気が指した。これなら地球の反対側で全く別の言語を話して生活してみたいと思っていた。
「俺はなんて不幸なんだ」と自分を呪ったことさえあった。

でも神様は俺を明確な意図を持って、日本に日本人として作ったということを確信できるようになった。
この俺という神様の作品をもっと磨いて輝かせようと思った。

なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。

エフェソの信徒への手紙 2:10

祈り

最後に祈りを載せたいと思う。

神様、この日に深く感謝します。
あなたは私を信じられないくらい変えてくれました。
もう私は別人に成り果てました。
以前の私は、あなたに似つかわしくないほど荒れ果てていました。
でも、そんなあなたが私を選んでくれました。
嘘つきで傲慢で文句ばかり言っている手の施しようがない私を変えてくれたのです。
もう、これ以上何を望めばいいのでしょうか。

そして、クリスマスの日の少しでも、あなたよりも世の楽しみに目を向けてしまった私を許してください。
この日をあなたに立ち返って感謝できる時としてください。

どうか、イエス・キリスト、あなたの名前において感謝させてください。アーメン
2025/12/25 20:06

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