はじめに
2025年のはじめに多くのことがありました。その中で、ルカの福音書15章にある放蕩息子の話にそっくりなことが自身の身に起きたので書き残していきたいと思います。
何があったのか
2025年1月、私はそれまで勤めていた会社を連鎖退職に巻き込まれる形で退職しました。やめた会社は2024年初頭に実家の家業を担うという計画に基づく経験を目的とした就業であったため、前職を続けることの優先順位は高くありませんでした。
2025年2月より家業と同じ業種の仕事を経験として見つけて開始しますが、事実上の解雇となりました。
そんな中、父親へ助けを求めて連絡すると「帰ってきてもいいよ」とのこと。そして私は2025年3月から地元へ戻ることになりました。
成り行き
財産を受けて旅に出る息子
弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。
ルカによる福音書 15:12-13
私はかつて海外へ行き、住み、生活をしていました。これらの旅のために幼少期からの貯金を崩してもらい出発しました。
そこでの生活は質素で厳しいものでした。結果的に追加の財産さえ使い果たしました。
飢饉に苦しむ
何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
ルカによる福音書 15:14-16
財産を使い果たしそうになったので帰国をしました。生活費を極限まで減らして、少し仕事をして浮いた時間で事業を行う算段で帰国したその足で京都へ赴きました。まあ、なんとかなるだろうという楽観的な考えがありました。
しかしながら低単価で時間を稼ぎ、本業が軌道に乗らないという事態が続きました。それは筆舌し難い苦痛を伴いました。帰って来れなくなる前に帰る決断を下しました。
悔い改める息子
ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
ルカによる福音書 15:18-21
1年の月日が流れた2025年2月のこと。冒頭に記載したように地元に帰ることにしました。私の父親は会社を経営しており、従業員もいます。それらの従業員と同じように扱ってもらっても構わないという気持ちで父親へ助けを求めました。
そして、帰っておいでという旨のメッセージを受けて帰ることに決めました。
父のもとに帰ってきた息子
しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
ルカによる福音書 15:22-24
かつて、私は父親の仕事をやりたいとは思っていませんでした。むしろ、やりたくないと拒否をしていました。
しかしながら2024年に父親が逮捕されたことをきっかけに、その仕事に興味を持ち始めました。
父は私のそういった想いを分かってか、父親は私に望まずして想定を遥かに上回るものを与えてくれる結果となりました。
具体的な話
私はここ3年ほどは生活に余裕がなかったため移動は基本的に自転車か徒歩でした。
そんな中、2025年2月に父からこんな一言がありました。
「車でも買おうか」
しかし私は車に興味がなく、金食い虫くらいにしか考えていなかったのでその誘いを渋りました。
そしたら、「車体も保険も駐車場も燃料も全部出すから乗ってごらんよ」と言われたので受け取ることにしました。
これは単純に金額や物の問題ではなく、旅から戻った息子に対する純粋な気持ちからのギフトなのだと私は勝手に考えています。
こうして、ついに中古自転車生活を卒業することになりました。





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